この世に来た目的は悟ることです。
執着するためではないのです。
そこをみんなはき違えているのです。
その結果、自分自身で迷路をつくり、しっかりそこにはまってしまっているのです。
それで”がんじがらめ”になって、「どうすればいいか分からない」
「自分でもどうにもならない」というようになって、
その結果また求めていくというのが、今の人の意識です。
まるっきり違うことをしているのですから、迷路をつくってしまうようになるのは当然です。
だから、この悪循環を早く断たなければなりません。
生きることの目的が、悟るということと認識したなら、もう執着することはしないですみます。
ただそれぞれの魂を磨くことのみを目的に、生きていけばいいのです。
たとえば、今日ある人と話をしていて、
「あ、またヤキモチ焼いちゃったな」とか、
「バカやっちゃった」とか、
「どうしていつもわがままが出てしまうのだろう」というように反省してほしいのです。
わがままな自分が出てしまった時に、
自分自身のエゴを感じるようにすればいいのです。
「こうしなければならない」、「得したい」、「自分だけがよくなりたい」、
「どうして分かってくれないのか」と思う結果、
嫉妬したり、恨んだり、嫌悪感に陥ったりといった”枝”ができてしまうのです。
それを分かってしまえば、生きているのがとても楽になるはずです。
自分の中に芽生えた我欲というのは、本当は陰も形もないものなのです。
みなさんの心の中で勝手につくってしまうものなのです。
ということは、エゴなんて自分の手で絶つことができるということです。
自分自身の手で迷路をつくりだし、イライラしたり、人の中傷をしたり、
対立する意識をつくりだしてもつまらないだけです。
とても情けないことです。
みんな同じ目的で生まれてきているにもかかわらず、互いに対立し、いがみ合ったりする。
それはとても変なことです。方向が違います。間違っているのです。
このことがわからないために、違う方向に進み、その結果、他人のことを恨んだり、
呪ったりしているのです。これではますます違った方向へいってしまいます。
ですから、常に反省することが大切なのです。
愛は許すことです。何をされても許すことです。許せる心が仏の心です。
サタンの心は許すことができない心です。何かをされる度に恨み、憎み、嫌うのです。
みなさんの心の中にサタンがいたら、無意識にその方向へ進んでしまいます。
だから常に反省することが大切なのです。
これはさほどむずかしいことでは内のです。
選ぶ道はこの2つしかないのです。
つまり喜んで犠牲になり、愛を生きる人になって自分を捨て去るか、
自分の思うがままに生き、相手を犠牲にして自己中心になって生きるか。
どちらかしかないのです。
どちらを選んでもいいのです。ただ帰る場所が違うだけです。
片方は明るいほうへ、もう片方は暗いほうへ帰ります。
この選択はみなさんの自由です。
あなたがしたい生き方をすればいいのです。
ただマイナス思考の人は、自分が辛くなり、相手も傷つき、
ましてや死んでから自分が辛い思いをします。
逆にプラス思考の人は、生きていても楽しいし、死んだら当然天界へ帰ります。
右、左、どちらを選んでもいいから、今日から徹底的にどちらか決めて下さい。
この世には、悟るために来ているのに、
「自分だけが良くなりたい」と思ってどうするのでしょうか。
矛盾しています。
「悟ろう」とするのと、「よくなりたい」というのを共に実現させるのは無理です。
方向性が違うのです。
「自分が良くなりたい」がために、いずれは人を犠牲にするのが悪魔の心です。
愛を持った人にはこのような心はありません。
愛のある人は、「みんなをよくしたい」、
「みんなのために何かしたい」という気持ちで溢れています。
そのためには、自分を捨てることです。
ときめいて、生き生きと、みんなに感謝して、みんなを喜ばせてうれしい自分になることです。
そこには「良くなりたい」という自分などいないはずです。
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